あのとき、あれが、あこがれだった(AAA)

あのとき、あれが、あこがれ・・・だった コーナー
新コーナー「あのとき、あれが、あこがれだった(AAA)」

新コーナーです「あのとき、あれが、あこがれだった(AAA)」。大金持ちのおうちに生まれてそだった人以外は、お金に余裕がない幼少期に「憧れ」ていたアイテムや要素があることでしょう。オトナになって思えば「どうしてあんな程度のものに憧れを抱いていたのだろう?」と感じるやもしれませんが、多感な幼少期には強い憧れがあり、その夢のアイテムは「光り輝いていた」のです。それを思い出して語り合う事で、「今となっては笑っちゃうけどね」であったり「それを懐かしめるぐらい自分はオトナになったんだなぁ」と感慨に耽ったりしようじゃありませんか? あの時のあこがれをオトナになって思い出して懐かしむように「キザなポエム風」に文章でお送り下さい。タイトルには

AAA「アーモンドチョコ」

などと記して下さい。

新コーナー「あのとき、あれが、あこがれだった(AAA)」

例えば、宮川賢の場合は例題でも前述した通り「アーモンドチョコ」でした。僕が子供の頃は、ギブミーチョコレートの時代ではないので、チョコレートは普通にお菓子として食べられておりました。しかし、チョコボールの中がピーナッツのものよりも「アーモンド」のものの方が格段に上だったのです。

ex.「あのときあれがあこがれだった。宮川少年の場合」
俺が子供の頃憧れた響きは「アーモンド」だ。チョコの中にアーモンドが入っているなんていうのは、超高級リッチなおやつだった。そうそう滅多に食べられるものではなかった。ただのチョコではなく、何かを包んでいるチョコは常にピーナッツだった。だが、アーモンドはピーナッツよりも大きい。そして高級食材だったのだ。テレビCMでも「アーモンドチョコ」を滅茶苦茶良い音で「かふぃっ!」と噛む音が響いていたので猛烈に憧れていた。だが、俺の本当の憧れはアーモンドを食べる事だけではない。食べ方だ。アーモンドをガシガシ噛み砕いて食べる事が夢だったが、一度も出来なかった。そう、時折訪れるリッチな気分を味わえる「アーモンドチョコ」を食べる瞬間は、俺は常に、周りのチョコレートを口の中で溶かしきって、口の中で舐め倒してから、完全にただのアーモンドだけを残してから、それをようやく噛んで食べ始めるのだ。つまり、貧しい僕らにとってアーモンドチョコは一粒で二度美味しいお菓子だった。オトナになって、アーモンドチョコをバリバリ噛んで食えるようになった時、改めて感じた「俺もえらくなったもんだなぁ」ってね。ふふ。

↑すいません、ここまで長くなくて大丈夫です。これ長すぎました。スイマセン。でも、まぁ、こんな具合に「キザ」に「ハードボイルド」に、「かっこつけて」、あの時の憧れの要素を題材にした作文をお願いします。ガシガシ待ってまーす!

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    模様
    かんらからからっ
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